この記事を書いた人
2002年より フラ暦20年
世田谷区のナニフラスタジオ所属にて。
2010年オアフ島ヒルトンホテルでのコンペティション「フラオニエ・フラフェスティバル」アウアナ・カヒコ・音楽部門、総合優勝。
その他、NYカーネギーホールでのショーやコンペティション等に出場しています。
スポーツクラブで5年、ナニフラスタジオで3年、講師経験
2022年6月より横浜市神奈川区でフラスタジオ「ポノ」始めました。生徒募集中!
自分の生き様で、人の心と行動を動かす発信をしています。
🎵Aloha No という曲を知ってる?
アロハは、要らない?って??
この「ALOHA」は「愛してる」の意です
Nō は 強調する時に使います。
この記事ではこんなことを書いています
1. Aloha Nō (アロハノー)について、曲の背景について
歌っているウェルドン・ケカウオハ氏について
2. 日本語訳を紹介します。
3. 曲の中に出てくる、ラブソングの肝とも言える、単語を紹介
4. 作詞作曲のレナ・マシャドさんについて
5. まとめ
参考・引用 レナ・マシャドの生まれから旅立ちまで
フラダンスAloha Nō を上手に踊りたいならば、歌の背景を知る!
まずは、耳をすませて音楽を聞いてみましょう。
ヴォーカルは、ハワイアンミュージック界を代表するシンガーの一人Weldon Kekauoha(ウェルドン・ケカウオハ )
ウェルドン・ケカウオハは、2000年に「ナ・ホク・ハノハノ・アワード」で最優秀新人賞を受賞し、その後もいくつもの賞を受賞しているハワイを代表するアーティストの一人です。
Aloha Nō. 日本語訳
Aloha Nō by Weldon Kekauoha
Ho’ohihi ko’u mana’o ‘ea
I kō leo ma ke kelepona
E haha’i ana i kō moe ’ole i ka pō
A ka hana nui a loko
E lauwiliwili nei
Aloha nō, aloha nō, aloha nō
‘O’oe ku’u lei ku’u mili e
Ke ala o nä maka i ka haka pono mai
Ua ‘ike au he ‘i’ini ko’u no’u
Ma ku’u poli mai ‘oe
Nanea pü käua
Aloha Nō 日本語訳
Aloha nō, aloha nō, aloha nō
愛してる 愛してる とっても愛してる
Ho’ohihi ko’u mana’o ‘ea
なんだか気持ちが、どうしようもなくざわついてしまう。
I kō leo ma ke kelepona
いとしいあなたの声を電話で聞いてるだけで。
E haha’i ana i kō moe ’ole i ka pō
夜も眠れないことなんかを話してくれる
A ka hana nui a loko
うちに抱えているたくさんの思いに、
E lauwiliwili nei
こころかき乱されている
Aloha nō, aloha nō, aloha nō
愛してる 愛してる とっても愛してる
‘O’oe ku’u lei ku’u mili e
あなたこそ、私のレイ 最愛の人
Ke ala o nä maka i ka haka pono mai
注意深く観察するあなたの視線が大好き
Ua ‘ike au he ‘i’ini ko’u no’u
私は、あなたの望みを知っているわ
Ma ku’u poli mai ‘oe
私の胸の中へ来て
Nanea pü käua
私たち二人、楽しみましょう
Aloha nō, aloha nō, aloha nō
愛してる 愛してる とっても愛してる
Aloha Nō この歌はどんな思いで作られたのか
歌詞は、遠くに離れた愛する人の声を電話越しに聞いて、高まる愛する思いを表現しています。
登場するハワイ語を拾ってみました。
このラブソングに登場するハワイ語を拾ってみると、この熱い愛の温度感がわかります。
Ho’ohihi 囚われている(夢中になっている)
lau wiliwili かきまわす(胸がかきまわされている)
ku’u lei 私のレイ
ku’u mili e 愛撫
‘i’ini 欲望
ku’u poli 私の胸
Nanea 楽しむ
käua 私たち二人
愛し過ぎて、苦しいくらい〜〜〜
この歌を深掘りするには、作者の私生活を知る必要があります。
1930年代~40年代「ソングバード」と呼ばれた女性ハワイアン・シンガー レナ・マシャド
1930年代から40年代を全盛期として、ハワイはもちろんアメリカ本土でも絶大な人気を得たハワイアン・ミュージックのスターがいました。
ホノルル生れのレナ・マシャドです。
裏声を駆使する「ファルセット・ボーカル」がトレードマークだった彼女は、「ハワイアン・ソングバード」と呼ばれ、後世のハワイアン・シンガーたちに大きな影響を与えました。ソングライターでもあった彼女は、今もフラダンサーたちに愛され踊られているフラソングを何曲も残しています。
1949年の作品「アロハ・ノ」は、遠距離結婚生活が続き、電話でのコミュニケーションが二人をつなぐ唯一のツールだったご主人への真実の愛を告げるメッセージソング。
フラとは自分の心を表現する感情の伝達ツール。フラダンサーの皆さんは、作者の思いをしっかり表現したいところですね。
ラブラブソングね
ちょっとひと休み
「kalepona」って電話のことです。ハワイ語にアルファベットのTは、ありません。
代わりにKを☺️英語のテレフォンに似てますね。
存在するアルファベットは以下の通り
子音は H K L M N P
母音は A E I O U
まとめ
Aloha Nō
歌詞は、遠くに離れた愛する人の声を電話越しに聞いて、高まる愛する思いを描いています。
ハワイアン・ソングバードが生まれてから飛び立つまで
一世紀弱前のある日のホノルル、ひとりのロコガールが、マンゴーの木の下で歌っているところをスカウトされます。
スカウトしたのは、放送が始まったばかりのハワイ初のラジオ局KGUのマネージャー。
ラジオ局のスタジオで彼女が生放送番組に出演し歌うと、リスナーから次々に問い合わせの電話が入る。伝説のハワイアン・ソングバード誕生の瞬間です。1927年、24歳のレナ・マシャドにチャンスがやってきます。
アメリカ本土のレコード会社がホノルルにレコーディング・スタジオをオープンすることになり、レナ・マシャドもここでレコーディングをすることになります。メジャー・レコード会社のためにレコーディングしたハワイ初の女性アーティストとなった瞬間です。1930年代、ハワイアン・シンガーとして大変な人気を集めるようになったレナ・マシャドは、サンフランシスコやロサンジェルスへツアーに出かけることが多くなります。当時本土に住むアメリカ人にとって、ハワイアン・ミュージックとの出会いはレナの歌声を聞くことでした。30年代から40年代は彼女の全盛期で、この時期に多くの名曲、名演奏を残します。
押しも押されぬスターとなった後もハワイでの演奏活動を活発に続けます。1957年、成功の真っ只中にいたレナ・マシャドに悲しい事件が起こります。最愛の夫を糖尿病で亡くします。精神的なショックはあまりにも大きく、葬式への出席もドクター・ストップがかかるほどだったといいます。
3年後、悲しみを乗り越えた彼女は自身のレーベルを立ち上げ、これまでの自作の曲をまとめて再録音するプロジェクトにとりかかります。それが1962年にリリースされた名盤「Lena Machado, Hawaii's Song Bird」。
同じ年、日本へも来日しテレビ出演を果たします。1965年、交通事故で大怪我を負い、音楽活動ができなくなってしまいます。また、手術費などがかさみ、経済的に窮地に立たされます。
1973年、膨れ上がった医療費の支払いができないでいるレナを救うために、ベネフィット・コンサート・イベントが計画されます。現在のニール・ブレイズデル・センター・コンサート・ホールで行われたコンサートには、ジェノア・ケアヴェやロイヤル・ハワイアン・バンドなど、レナと親交のあったミュージシャンたちが友情出演。このベネフィット・コンサートにより経済的な窮地から救われたレナは、サポートしてくれた人々の厚意に深く感謝します。
ベネフィット・コンサートの翌月、ハワイアン・ソングバード、レナ・マシャドは天国へと飛び立ってしまいます。1974年1月22日、70歳でした。
https://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/251 よしみ Nui だいすけさんの記事より引用させていただきました。